機関誌ぷらいむ
しまねの散歩道

No.18NO.19 | NO.20 | No.21
山と水と緑の城下町、津和野(No.21)
城跡をたどる清清しい森林浴
津和野写真
 山陰の小京都といわれる津和野町は大らかな自然に包まれた城下町。旅の始点はJR津和野駅。蒸気機関車の運行日には懐かしい汽笛が響くことも。
 まずは白壁と格子窓が残る武家屋敷や老舗商店、掘割で群れ遊ぶ鯉、カトリック教会をのぞきながら弥栄神社へ。ここは津和野城の鎮護のために城の鬼門にあたる地に建てられたという。
 旅の安全祈願後は、春の日差しに耀く津和野川にかかる御幸橋を渡ろう。その先一帯は津和野藩御殿跡で、築地基壇と大井戸が遺存する。南側には津和野藩主亀井氏が造った庭園「嘉楽園」があり、唯一の遺構「旧津和野藩邸馬場先櫓」が残る。また、四月中旬、園内はあでやかな八重桜が咲き誇る。
 次の目的地、津和野城跡へは津和野高校を右折して坂を上り、リフトに乗って山頂へ。城は鎌倉時代に鎌倉の御家人吉見頼行が元冦警備のために築いたもので現在は出丸、本丸の石垣が昔のままに残り、眼下に石州瓦の美しい町並みが望める。
 城山の南西山ろくには城の守護神鷲原八幡宮があるので、中国自然歩道をゆっくり下り、木々の息吹に身をゆだねながら森林浴を楽しみたい。八幡宮の社前の広大な広場は鶴岡八幡宮の馬場を模し、全国でも唯一原形を残す流鏑馬馬場。毎年四月第二日曜日(今年は四月十日)には「流鏑馬神事」が執り行われる。この勇壮な神事を幕開けに、津和野の町も山も、そして散歩道も本格的な春の装いに彩られていく。
津和野地図

心透かれる水澄みの里、三隅町 (No.20)
歴史と文化の香に包まれる
三隅町写真
 町の中央を三隅川が流れる三隅町は古来より「水澄みの里」と呼ばれ、紙漉きが行われてきた。
 山間に鎮座する龍雲寺は六百年の歴史を有する曹洞宗総持寺派の古刹。県の文化財に指定される寺宝の大般若経全六百巻など様々な文化財がある。本堂の格天井には狩野惟信の巨大な龍の墨絵が描かれ、龍の睨みが訪れる人心の奥を見透かすかのようだ。
 山裾には南朝の名将三隅兼連(かねつら)を祭神とする三隅神社が建つ。境内に隣接する三隅公園は中国地方屈指のツツジの名所。山の傾斜を利用して約五万本のツツジが植栽され中腹には梅林がある。花の見ごろには山は花衣装に包まれる。
 山道に別れを告げ、三隅川に沿って進むと川沿いに「静流の鐘塔」が建つ。この塔は昭和五十八年七月二十三日に町に未曾の被害をもたらした水害からの復興の証。毎年同日には鐘の音が川風に乗って響き渡る。
 鐘を目印に左折して坂を登ると、そこは三隅中央公園。瀟洒な劣塔が印象的な石正美術館は同町出身の日本画家石本正の作品の収蔵・展示を行う。中世ヨーロッパを思わせる回廊様式の中庭には清らかな音楽が流れ、来館者を優しく迎え入れる。その他、健康増進施設のアクアみすみ、陸上競技場、野球場、テニス場、三隅中央会館など同町の主要施設が集積し、リフレッシュに訪れる人々の笑顔に出会える。文化と自然に彩られた道をたどり三隅公民館に到着する頃、心の内は澄み渡っていた。
三隅町地図

大寺薬師と中世城跡をめぐる。(No.19)
北山の麓、山手往還を往く
北山写真
 出雲平野の北部に連なる北山山系の南麓は神社や寺院、遺跡が点在する歴史の宝庫である。
 一畑電鉄大寺駅から北方山麓を目指せば、山裾の集落に佇む大寺薬師へたどり着く。大寺薬師は通称で正式名称は万福寺。出雲三大薬師の一つとして崇敬を集めてきた。寺の収蔵庫には行基作と伝わる九体の仏像が収められ、裏山には出雲地方で最古とされる前方後円墳・大寺古墳がある。
 山裾には美保関から出雲大社を結ぶ古道が通じ、その中の一つ山手往還は江戸時代に使われていた。現在、その多くは舗装されているが『出雲国風土記』に載る都我利(つがり)神社、伊努(いぬ)神社が神代のままに鎮座する。
 地域一帯にそびえる鳶ケ巣山には、毛利元就が尼子氏の攻略のために築城した鳶ケ巣城の城跡があり、頂上からは出雲平野や宍道湖、三瓶山が見渡せる。その眺望の良さから、ここが戦国時代の要衝の地になりえた理由が容易に想像できるだろう。山裾には鳶ケ巣城城主・宍道氏の菩提寺の霊雲(れいうん)寺とショウブ園で有名な鳶ケ巣本陣があり、六月の花の見頃にはにぎわいをみせる。
 鳶ケ巣本陣から続く道を南に下り、民家の生垣の間を縫うように続く小道をたどれば、江戸時代の建築様式を今に伝える龍善寺や前述の伊努神社を訪ねることができる。
 山の息吹に包まれて神代から戦国の世、江戸時代、そして現代へ。タイムトラベル気分を味わえる散歩道である。
北山地図

潮風香る港町、美保関。(No.18)
風待ち港の往時をしのぶ
美保関町写真
 島根半島の東端に位置する美保関町は、古来は国引き神話や国譲り神話の舞台、江戸時代には、北前船の西廻り航路の寄港地として栄えてきた港町だ。
 美保関港を見守るように鎮座する美保神社は事代主命(コトシロヌシノミコト)と美穂津姫命(ミホツヒメノミコト)を祭り、神さびた情緒を醸し出す。
 美保神社から仏谷寺へと続く「青石畳通り」は、かつては参拝道としてにぎわいをみせた。雨上がりには石畳が青く光り、道の両側には、旅籠だった建物や古い民家、江戸末期創業の醤油屋が軒を連ねる。路地の随所には、文豪たちの随筆の一編や歌人の句が掲示され、当時の町の喧騒をほうふつとさせる。
 青石畳通りの先にある仏谷寺は、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が隠岐へ配流される際、行在所となった寺院。歴史が生み出した悲哀に胸を打たれる。
 仏谷寺を後に、潮風に導かれるまま、美保関港へ向かうと、停泊する数隻の漁船が、活気にあふれていた頃の港の様子を物語るように静かに浮かんでいた。
 遠くに霞む弓浜半島と大山を右手に、しおかぜラインをたどって地蔵崎へ。一望する日本海は青く澄み渡り、真っ白な美保関灯台とのコントラストが美しい。水平線の彼方には隠岐島。遙か彼方を行き交う小さな船に、遠き昔の北前船の面影が重なり合った。
 歴史の荒波の中、人や物が行き交ってきた美保関町は、様々な物語が眠る港町として、今もなお、訪れる人を魅了し続けている。
美保関地図


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