我がまち 芦屋
tnav_d.html

我がまち 芦屋

芦屋市人口  94,350人    令和3年1月1日現在
総 数 所帯数
94,350人 42,485人 51,865人 42,742

谷崎潤一郎記念館

芦屋川沿いにある、芦屋公園の東に「伊勢町文化ゾーン」があり、その一画に谷崎潤一郎記念館がある。延床面積591㎡の 記念館とその南に300㎡の日本庭園を配している。常設展示場には、写真・雑誌・原稿など約2800点が展示されている。


在原業平
の歌碑
在原業平が、芦屋で浜の美しい娘を愛し、歌日記「伊勢物語」を残している。業平の父は、阿保親王、母は桓武天皇の皇女、 伊都内親王でどちらも皇族でのちに、業平は皇族の臣下に降りて在原氏を名乗った。その歌碑が月若橋の南にある。


阿親王

JR芦屋駅前の小道を、北東に約900m、宮川をすぎると老樹がうっそうと生い茂る静かな森が現れる。 古くから「親王さんの森」として親しまれ、第51代平城天皇の第一皇子、阿保親王が祀られている。在原業平の父である。

大楠公戦跡の碑

芦屋駅前の南に位置する打出は、南北朝時代にしばしば激しい合戦場となっている。1336年、打出浜の 合戦では楠木正成が、足利軍に直撃を加えて尊氏軍を兵庫沖に敗走させた。その合戦の様子は、国道2号線を 東へ約300mにある大楠公戦跡碑のうらに記述されている。


ぬえづか伝説

今からおよそ800年余り前、時の近衛天皇を夜な夜な苦しめた妖怪変化の怪物が退治された。その怪物は、 頭はサル、体はタヌキ、手足はトラ、尾はヘビという化け物だったという。その怪物の死体は「ウツボ舟」 に乗せて加茂川に流され、流れ流れて芦屋の浦に漂着した。里人たちは後のタタリをおそれ、この死体を 懇ろにとむらい、塚を造り祠を建てて祀った。これが、世に名高い「ぬえづか」である。

芦屋公園

芦屋川の左岸、国道43号線より南の松林一帯。ここは、大正6年に芦屋川遊園地として開かれ、上流の開守橋や 山手町付近まで松林が続いていました。昭和10年には業平橋まで川沿に400本が植えられた


芦屋神社

黒松、赤松、樫などに囲まれた境内には、7世紀の横穴式石室をはじめ、猿丸太夫の墓と伝えられる宝塔、 猿丸安時の歌碑など、芦屋の生活文化を彩る史跡が多く残っている。

芦屋霊園

桜の名所で、内が一望できる。芦屋市街の北東にあたる剱谷 国有林の敷地の丘陵地位置する芦屋霊園は近代的で明るい公園墓地として昭和27年から、昭和45年までに 順次整備された公園で、宗教の別を問わない先祖崇拝の地となっている。

カトリック芦屋教会

昭和中期に活躍した建築家、長谷部鋭吉の1953年の作品。大阪 の旧住友銀行本店や銀座松坂屋が代表作として知られている。


虚子記念文学館

虚子に関する資料の収集・整理・保存及びその公開。その他、文化的活動に集会所を貸している。

仲ノ池緑地

自然生態観察公園として整備された池では、水生の動植物のほか野鳥や昆虫など、豊かな生態系の観察ができる。

芦屋市立美術館

芦屋の美術、歴史を知ることのできる複合施設。芦屋の資料館も併設。5月には前庭でフリーマーケットの開催。

エンバ中国近代美術館

清代中期以降から現代に至る陶磁器、書画、刺繍などの美術工芸品を収蔵、紹介。

芦屋市総合公園

樹木が持つ大気を浄化する機能を利用した「大気汚染対策緑地」豊かな緑の中で、陸上競技やサッカー などのスポーツ、野外コンサートなどの文化活動が楽しめ、花や緑に関する学習やボランティア活動も体験できる。

ヨドコウ迎賓館

米建築家フランク・ロイド・ライトが大正時代に設計。日本で建築されたライトの住宅で当初の姿を そのまま保っている唯一の作品である。
foot_d.html