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特技紹介
 手作り健康布ぞうり
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 貼り絵
 私と家庭菜園
 切り絵
 私と盆栽
 踊りの輪・和・話
 仏像を彫る
 
 手作り健康布ぞうり

入間川東8班 藤田 實 
 今から6年前になるが、手作り健康布ぞうりを編んでいるサークルがあるとの事を耳にした。今までいろいろな事をやってきたが、次は布ぞうりをやってみようか
と、手作り班に行ってみた。やったことがないので初めは手こずった。先輩の女性から「これは駄目だやり直し」と何度も言われた。
1年くらい経ったか定かではないが、先輩の女性が息子さんから「お母さんが編んでくれたぞうりの鼻緒が緩んで履けない」と言っていたと聞いた。自分も「 もやもやしていた」が・・・・。そうだ、鼻緒がすべてだと思った。
前の鼻緒と両脇の鼻緒」がすべてだと思った。前の鼻緒と両脇の鼻緒が大切なんだ。緩まないようにいろいろと工夫をしてみた。また、履いていて足が痛くならないよう鼻緒を柔らかく、丈夫にするよう頭を悩ました ・・・・・「できた」それが現在、私が作っている健康布ぞうりで、今日に至っている。
   
 
 カメラと私

入間川西 1班 小山 宗助
 広報誌「シルバー狭山」の編集に携って以来、 一度、撮影現場でお話を聞いてみたいと思っていた願いが適い、晩秋の一日、智光山公園で時間を作っていただきました。バラの撮影が一段落するまで待つこと暫し、公園のベンチにお座りになり、静かに「カメラの
とりこ」になられたいきさつをお話くださいました。
 以外だったのは、カメラ以外でも「山のスペシャリスト」だったことでした。お話に出て来た山だけでも魅力的なのに、合宿してまで縦走された北アルプス。真冬の南アルプス北岳の登頂など。こんな小山氏に山が取り持つ転機が訪れます。
 秩父連山からの帰途、同じ電車に乗り合わせた日報連の会員さんとの出会いでした。
 小山氏の作品の特徴は、人間愛に満ちた優しさが基本で、観る者の心を捉えて離さないことです。
 私には、以前、毎日新聞埼玉版に載った一枚の写真が今だに脳裏から離れず、時折り想い出すことがあります。「雑木林の中で少女が無心に蝶を追う」ただそれだけの写真ですが、この蝶と戯れていた少女は今、どうしているのだろう。追われてヒラヒラ遊んでいたきれいな蝶。その蝶が棲んでいた雑木林は今も残っているのだろうかなどなど。
 観る人の心を捉え、その情景の先まで想像させる魔力を持っている。取材を終えて心に残ったことがある。
「一芸に秀でていながら、相手をそらさず謙虚さを失わないその人柄だ。人材センターの宝のような人である」
(取材 吉田 壽弘)
  
 
 詩吟

入曽13班 小出 卓治
私が詩吟を始めたきっかけは、音痴なので結婚式や宴会等人前で歌うことが苦手である一方、子供の頃から剣道をやっていたので声を出すことには多少自信がありました。26歳の頃、詩吟ならやれるだろうと思い会に入りました。
詩吟にも流派が数多くありますが、私は日本詩吟学院岳風流の会に入り、会社勤めの帰りに週 1回入曽公民館で練習して来ました。途中転勤などで休会しましたが、定年後は練習にも集中でき通算30年位続けています。
何でこんなに長続きしたのか?考えてみました。詩吟の良い点は
1.漢詩、和歌、俳句、俳諧歌、近代詩等の勉強は奥が深い(生涯学習)
2.腹式呼吸(丹田呼吸)により、自律神経の働きに良い(良く眠れる)
3.大きな声を出すことにより、ストレス解消(健康―胃腸が丈夫になる)
4.仲間との出会い、活動を通しての楽しみがある。等々。
継続は力なリ!です。まだまだ未熟ですが、各種の発表会での吟詠や師範として教室を受持ち今までお世話になったご恩返しをしています。
皆さん、良かったら一緒にやりませんか?
  
 
 菊づくり

水富 6班 吉﨑 善夫
―秋になるとセンターの入口に見事な大輪の菊の鉢が見られます。
菊つくり30年の吉﨑氏にそのノウハウを取材しました―
菊の苗を 3鉢いただいたのがきっかけで、今では自宅の鉢植の他に日高インターの近くに約 200㎡の菊畑を持ち、40〜50種類の菊を育てています。畑には水道が無いので、必要な時には隔日に風呂桶に 5杯程の水を自宅から運びます。
葉の裏には油虫が付き、食われてからでは遅いので先手必勝で消毒します。又、夜盗虫が蕾に付くので夜中に一匹ずつ退治します。
品評会に出品する菊は、当日満開にベストの状態にするために一日の日照時間をコントロールします。シェード(袋を被せる)をして菊に秋が来たことを知らせるのですが、毎日夕方 4時に被せ夜中に外します。この作業を20回程続けます。愛情を注いだ分だけ応えてくれて、今まで東京都知事賞等数々の賞をいただいています。
菊の種はゴマの1/3程の小さな粒で、種を取ること自体非常に難しく、ましてや種から育てる事は至難の技なので、普通は横から延びて来る新芽を挿して苗から育てます。新種を創るため自分で交配もしています。毎年 100種類程出回りますが残るのは 1種か 2種です。
今年も「商工祭」や「シルバー会員作品展」に出品します。是非ご覧下さい。
(広報部会 熊谷)
  
 
 貼り絵

堀兼 6班 石原 武
シルバー作品展に出展されている「貼り絵」の楽しさを取材しました。-
 山下請画伯の花火の貼り絵を見て自分でも作ってみたいと思い本を捜したのですが、なかなか見つからず、一冊の本を手掛りに見よう見真似で始めました。
 貼り絵に使う道具は、小さなドライバーとピンセットと糊と絵の具と鉛筆で、材料は、台紙と色紙だけです。使いたい色を出すために色紙の裏側を絵の具で全面を塗り、写真のように細かく手で千切っておきます。その際、紙の直線部分は全て取り除きます。
 下絵は主に狭山市内の風景や肖像画をスケッチします。山下画伯と同じ気分を味わいたいと思い、時々おにぎりを食べながら作品作りをします。
台紙の下絵に色紙をピンセットでつまんで重ねて行くのですが、次第に仕上がっていくと楽しくなりますし、何と言ってもこのひとときの醍醐味は「自分との対峙」です。
 貼り絵は近くで見て、紙の継ぎ目や細部の立体感を味わい、遠くで見て、水彩画や油紙と同様の感じを鑑賞することができます。        最も苦労するのは、左右対称のものの色合いで、同じ
色を探して揃えたり、立体感を出す部分です。 最も難しい部分は何と言っても「目」(雨竜点晴)です。
 作品を仕上げるのに一枚1ヶ月、3ヶ月、半年もかかる時がありますが、修正に修正を重ね最後にサインを入れる時は感無量です。
(広報部会 熊谷)
  
 
 私と家庭菜園

水富 4班 河上 循市
家庭菜園を始めたのは、あまりお金のかからない趣味はないかと妻が働いていたお店の畑を借りたのがきっかけでした。
 当時は、休みといえばバチンコに夢中になっていて、何とか夫に矛先を変えてもらおうという妻の秘策だったのかも知れません。私が40才の時でした。
 最初は何も解らず畝という言葉も知りませんでした。お店のおじさん、おばさんに畝の作り方、夏は風通しを良くする為に高く、冬は北側を高くなど色々な事を教わりました。畝が曲がったり平でないとよく怒られました。約3年位教わった後、今度は自分の家の近くに二百坪ばかりを借りてやる事になりました。畑仲間ができて、いろんなやり方や情報交換をしながら、現在まで26年間続けております。満足のいく野菜が取れる事はあまりありません。特に最近は異常気象で、雨も風も晴天続きも作物には苛酷になりました。 それに虫の発生も厄介です。キャベツの青虫、空豆の油虫、ナスのハダニ、きゅうりのウリバエ、それだけではありません。夏のスイカはカラスやハクビシン等による被害も、本当に泣きが入ります。ですが、大変だから続けられると思います。何くそと挑戦です。
 私にとって畑は体と精神の鍛錬の場所なのです。収穫したものをご近所にお裾分けすると「ありがとう。おいしかったよ。 」と言われるのがうれしくて又、次はいいものを作るゾと、体力の続く限はやって行こうと思います。下手の横好きですね。これからは秋野菜の準備に入るところです。

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 切り絵

狭山台 2班 竹本 隆志
 数年来、会員作品展を鑑賞して一度製作者に会って見たいとの想いが募り、晩秋の一日狭山台のお宅へお邪魔しました。
 挨拶もそこそこに、ご自分の切り絵に託する思いを語り始めた竹本さん。部屋中に積まれた材料がその情熱を裏付けているようでした。「切り絵に出会ってまだ8年なんだよ」とご謙遜ですが、その技量はプロ級と拝察しました。
 折り紙をはじめ材料には市販品は一切使わず再生紙ばかり。材料を収納してあるダンボール箱には包装紙、封筒(内側の細かい模様が切り絵に使うと魅力的)に、カレンダーの絵などがぎっしり。使う工具と言えばカッター、ハサミ、ピンセツトにコンパス他数点。これらを使って再生紙から長谷川平蔵が写楽が歌麿呂が切り出されていくのが何とも不思議でした。
構想がまとまり、カッターで切り出して行く時の「無心の境地がなんともいえぬ至福の時だよ」とおっしゃりながら切り出しの一部を見せて下さった竹本さん。今日は独特の手法が随所に織り込まれた竹本流切り絵の極意を垣間見せていただいたひと時でした。
 今年の作品展には、どんな切り絵を出展されるのか楽しみだ。
 帰り際「この他にもいろんな事に挑戦してんだよ。ダンボールや空缶などの廃材を使って神輿を作ったり、ルービックキューブを作って子ども達ヘプレゼントしてんだ。その時の笑顔が忘れられなくてな」と言われた言葉が印象に残った取材でした。
(広報部 吉田 壽弘)
  
 
 私と盆栽

入曽13班 神田 利彦
雨の降る寒い1月半ば、盆栽の手入れに勤しむ神田さんを訪ねてお話を伺いました。
秩父の山奥で、ふと出会った野生の「ツゲの古木」。どっしりとした幹、寒風に耐えて左右に張り出している枝葉。自分もこんな力強さに満ちた人間になりたいと思ったのが、この道に入った切っ掛けだったとおっしやりながら、ちょっと「この樹を見てよ」と案内された玄関先には、樹齢44年の堂々たる「ツゲの古木」があった。神田さん慢の樹だ。
44年前、山で出会ったツゲの樹が忘れられず、幼木を購入して農作業の傍ら見よう見真似で育てた作品だ。盆栽の手入れは難しいんだ。鋏を入れる前に「この樹をどんな形に仕上げるか、花はこの辺に咲かせて、実がつけばこんな形に仕上がるかなどと構想がまとまったら鋏を入れるんだよ」とおっしやっりながら、今日は「五葉松」の整枝に取り組み始めた視線は真剣そのもの。それまでの柔和な表情が近寄り難い雰囲気に変わっていた。
独学で始めた盆栽づくりだが、今では水野地区の愛好者が集まって活動している(会員3。名強)盆栽の会の世話役も引き受け、自治会館を借りて年数回のペースで観賞会も開催。 一般の方のご批評も頂いている。帰り際、「盆栽やっている人は植木の手入れは上手だよ。だけどその逆は成り立たないな」と言われたひと言が印象に残った取材でした。(取材 広報部 士口田壽弘)
(取材 広報部 吉田 壽弘)
  
 
 踊りの輪・和・話

入間川西8班 内田 良夫
狭山市駅西口方面より祭囃子が聞こえ、音に導かれ坂道を上がると徳林寺の境内、そこに淡いブルー地に濃紺の波をあしらった和服と黒地に金糸模様の帯をキリリと締めた内田さんが出迎えていてくださいました。この日は徳林寺が主催する盆踊りの会でした。
氏は10才の時、自治会の盆踊りに参加したのがきっかけで、以来60年踊り続けていて、一年半前狭山市民謡連盟にご夫妻で入会しています。会員は70名程で男性はわずか3名、貴重な存在です。
曲目は、炭坑節。東京音頭・狭山音頭、きよしのズンドコ節等9曲で、踊り始めると手の先から足のつま先まで表情豊かで全身踊りを楽しんでいる様子が伝わり、幼い頃近所の夏祭りで見よう見まねで無心で踊った記憶が蘇り、郷愁をそそられました。
盆踊りの起源は、原始舞踊に発し、仏教渡来後は盆の儀式として行われましたが、室町末期から民衆娯楽として発達し、その形式は円舞式と行進式があります。盆踊りが隆盛に赴くと共に伊勢踊・念仏踊など歌の系統を引いた歌詞が作られ、その後諸種の変化を経て今日に至っています。民謡は庶民の集団生活の場で生まれ、多くの人々に歌いつがれ、生活感情や地域性などを反映しているので付随する踊りは盆踊りとは異なります。
茶摘み前の爽やかな新緑の候、特設の盆提灯に照らされた踊りの輪の中で、内田御夫妻の仲睦まじい姿が特に印象深い取材でした。
主な活動の場は、入間基地の夏祭り、狭山市内の老人ホーム、神社等です。
(取材 広報部会)
  
 
 仏像を彫る

入間川西4班 吉川 富士男
私は、現役の時から山登りを趣味としております。因に、百名山は64座登っておりますが、登山の他に形に残る趣味も持ちたいと思っていました。
転機が訪れたのは平成14年春のことでした。秩父礼所巡りをしていた折り、13番礼所慈眼寺で見た仏像群に強い感銘を受け「これだ」と心に決めたのです。
現役時代、上司が仕事の合間に仏像を彫っていたのを思い出し、私にも彫れるのではと早速、独学で彫り始めました。平成15年の夏頃のことです。彫り始めて間もなく自分だけでは難しいことに気付き手解きを受けることにしました。
小手指コミュニティイカレッチの仏像講座に通い始めたのです。仏像についての講義も受け順調に上達していたのですが、残念ながら同講座は、平成21年で廃止されました。現在は、皆川閑慶先生の自宅講座に月2回のペースで通い指導を仰いでいます。サポート班・家庭菜園その他の時間を調整しながら彫刻を楽しんでいます。
写真の仏像は、「大日如来」と申しまして、空海密教の御本尊です。このように自分で手がけた作品は、皆様のご批評も仰ぎたく、新宿文化センターで2年に一度の展示会に出展したり、狭山市民美術協会主催の展示会に出展してます。第23回シルバー会員作品展にも初めて出展させてもらいました。
今後も、体力の続く限り彫って行きたいと思ってます。
  


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